New Generations プロローグ 辿り着く、戦士の背中 |
AkiRa(E-No.451PL)作 |
辿り着く、戦士の背中 |
〔執筆者あとがき〕 |
辿り着く、戦士の背中 |
それは、コテツにとっていつも通りの食卓の光景だった。 向かい側に両親、隣には妹がいて、時には談笑を交えつつ箸を動かす。 飼い猫がおこぼれにあずかろうと足元で鳴き、家族の誰かが窘める。 年月とともに多少の変化はあれど、幼い頃からずっと繰り返されてきた風景。 ――しかし、それも今日が最後のはずだ。 明日から、この席におそらく自分の姿はない。 「おかわり」 空になった茶碗を差し出し、短く告げる。 それに二杯目の白米をよそいながら、母親のリンファンが口を開いた。 「もう支度は済んだの? 出る前になって慌てても知らないわよ」 「んなもん、とっくに終ってら。――ったく、人をガキみたいに」 茶碗を受け取り、憮然として答える。 優しい母ではあったが、いつまでも子供扱いしてくるのが悩みの種だ。 仮にも冒険者になろうとする者が、旅立ちの準備もろくにできないのでは話にならない。 「――とうとう、行っちゃうのね」 軽い溜息とともに、リンファンが呟く。言葉の端々から、どこか気遣わしげな調子が滲んでいた。 明日は、コテツが冒険者となるために旅立つ日だ。 かつて“虹の王国”として繁栄を誇ったこの地だが、王城が謎の消滅を遂げてからというもの、国は大きく荒れた。 地域によって寒暖の激しい極端な気候と、我が物顔で闊歩する獰猛な獣や魔物の群れに人々は苦しめられ、統制を失った王国はやがて、三つの都市国家と三つの中立都市へと姿を変えていくこととなる。 その中で生まれたものが、国家公認の冒険者制度だった。 危険と引き換えに報酬を用意し、正規軍では賄いきれない戦力を民間から募ろうというわけである。 この試みは成功し、各地では数多くの冒険者が誕生した。混乱の時代を支えてきたのは、間違いなく彼らの力によるものが大きい。 多少は平和を取り戻した現在においても、その重要性はいささかも揺るぐことはなかった。 ――もっとも、コテツのような少年や若者たちにとっては、“冒険”という言葉の持つ魔力の方が、より強く心惹かれるものだろうが。 「何もそんなに急ぐことないのに。お兄ちゃんだってまだ十四でしょ」 二つ年下の妹、ユィファが隣から呆れたように声をかけてくる。 「冒険者になれんのは十二からだぜ。これでも遅すぎらぁ」 当然ながら、冒険者といっても国家公認であるからには誰もがなれるというわけではない。定められた手続きを踏み、試験に合格しなくてはならないのだ。 その試験を受けるための最低条件が、『満十二歳以上、八十歳以下』という年齢の制限だった。 「でも、黙って出て行かれるよりいいかもね。 家を継ぐのが嫌で飛び出した誰かさんみたいに」 リンファンが、隣の夫にちらと視線を向けて悪戯っぽく口を開く。 それを聞き、コテツの父・シローは黙々と進めていた食事の手を一瞬止めた。 「……何の話だ」 軽く眉を顰める父に、母がくすくすと笑う。 「さあ? 何の話でしょう」 シローは商家の長男であったのだが、商売を嫌って少年期に家を飛び出したと聞いている。以後は戦士の道を選び、冒険者として生きてきた。 コテツの生まれ故郷、遥か北の大陸にいた頃から、彼の半生は常に戦いの中にあったと言って良い。 現在一家が居を構えているこの城砦都市センブラに移り住んでからも、それはしばらく変わることはなかった。 おそらく、今も必要があればそうするだろう。 「ごっそさん」 食事を終えると、コテツはすぐに席を立った。 楊枝を咥えて寛ぐシローに歩み寄り、低く声をかける。 「――親父。ちょっと俺に付き合え」 「断る」 にべもない返答。この父は、いつもこうだった。 どこか人を食ったような事を言って、まったく底が見えないのだ。 でも、今日ばかりはそれに振り回されるわけにはいかない。 「……おい」 コテツが睨むと、シローは肩を竦めつつもニヤリと笑った。 「冗談だ。あーでも面倒だな、最近ちょっと腰痛いし」 やはり、こちらの意図は察していたらしい。 わかっていてはぐらかそうとする態度が腹立たしくはあるが、ここで怒っては父の思うツボだ。 感情の波を抑え、決意とともにはっきりと言葉を紡ぐ。 「そーやって余裕こいてろよ、今日は今までみたいにいかねぇからな」 「へいへい、じゃあやりますか」 シローが重い腰を上げたのを見計らって、コテツは父とともに部屋を出た。 「――元気ねえ。何も明日が試験って時に、わざわざ殴り合うことないのに」 二人を見送った後、ユィファは食器を片付けながら溜息混じりに呟きを漏らした。 「今更言っても聞きやしないわよ。うちの男たちはみんなこうなの」 リンファンも、半ば諦めたように答える。 コテツがシローに手合わせを挑むのはいつものことだ。今さら珍しくもない。 「どうせ勝てやしないんだから、エネルギー使うだけ無駄よね」 その呟きに対して、リンファンは苦笑したきり何も言わなかった。 代わりに、入り口の方から微かな物音が聞こえてくる。 目を向けると、飼い猫の“ライオン丸”が扉に小さな爪を立てていた。 「――あ、ライオン丸。ダメよ、ドアを引っ掻いちゃ」 父が名付けたあんまりな呼び名も、半年が過ぎた今ではすっかり定着してしまっている。 ユィファが抱き上げると、ライオン丸は腕の中で不満げに一声鳴いた。 「うみゃあ」 どうやら、外に出たくて仕方がないらしい。 その様子を見て、リンファンが笑って声をかけてくる。 「いいわよ、こっちはいいから行ってらっしゃい」 「……しょうがないな、じゃあ行こうか?」 「みゃあ」 そう言うと、ライオン丸が今度は嬉しそうに鳴いた。 初夏の夜気が、涼しげな風を孕んで小さな庭を吹き抜けていく。 月の光が、そこで対峙する父と子の輪郭を闇に浮かび上がらせていた。 お互い、武器は一切手にしていない。それだけが、今夜の戦いにおける唯一のルールだった。 「いつでもいいぞ、息子よ。どこからでもかかって来い」 腕組みをしたまま、シローがコテツに告げる。 一見すると何気なく立っているだけだが、そこに隙というものは見当たらない。 「――んなもん、言われなくてもそーしてやらぁ!」 己を鼓舞するかの如く、コテツは声を張り上げる。 今日こそは、負けるわけにいかないのだ。 地を蹴り、シローへ向かって真っ直ぐ距離を詰める。 眼前で間合いを測ると、コテツはそこで身体を一気に反転させた。 「食らいやがれ!」 完璧のタイミングで繰り出した、渾身の回し蹴り。 いかに父といえど、これがまともに入ればおそらく無傷では済むまい。 しかし、そんな目論見はシローの短い呟きとともに砕かれた。 「ふむ」 組んだ腕を解くことすらせずに、重心を僅かにずらして蹴り足をすかす。 何とかバランスを保って着地に成功したコテツに、シローは事も無げにこう言った。 「お前の弱点は、動きが素直すぎることだな」 「――抜かせ!」 いきり立ち、再び跳躍するコテツ。 その瞬間、シローの姿が視界から消えた。 「!?」 続いて、コテツの真下から声が響く。 「――意表を突くなら、せめてこれくらいはやっとけ」 直後、突き上げるような衝撃が襲った。 「がはっ!?」 強烈な掌底の威力に吹っ飛び、仰向けに地面へと倒れこむコテツ。 「寝てる暇はないぞ」 間髪入れず、シローが追い討ちの膝を落としてくる。 「……くそがっ!」 横方向に転がって辛うじて避けると、コテツは跳ね起きざまに攻勢に転じた。 「――いつまでも、教える側のつもりでいるんじゃねぇ!」 シローが体勢を整えるより僅かに速く、顎目掛けて拳を放つ。 その時、コテツは眼光鋭く不敵に笑む父の顔を見た。 必殺の一撃が紙一重で避けられたかと思うと、次の瞬間にはまたもシローの姿を見失う。 気付いた時には、背後からしっかりと腰を抱え込まれていた。 「……っ!」 驚きと悔しさに、言葉にならない声が漏れる。 「惜しかったな」 囁くようなシローの声とともに、コテツの天地は逆転した。 中途半端に抵抗を試みたのが仇となり、ろくに受身も取れずに頭から地面に激突する。 「ぐ……あッ」 「あ、馬鹿……」 気の抜けた声をあげるシローに悪態の一つでもついてやろうと思ったが、声が出ない。 月はまだ空高くに輝いているというのに、視界は急速に暗くなっていく。 ――畜生……まだ、勝てねぇのかよ。 遠のく意識の中、コテツは己の敗北を悟っていた。 何かのはずみに、繰り返し見る夢がある。 それは、まだ幼かった頃の記憶。確か、二歳か三歳の時だったはずだ。 父の実家、コテツにとっては祖父母が住む家。 広い庭を心の赴くままに走り回っていると、門のところから声をかけてくる人影があった。 「――よう」 振り向くと、そこには久しぶりに見る父の顔。 「とうちゃん」 嬉しさのあまり、全力で駆け寄る。 なにせ、数ヶ月ぶりの再会だった。遊んでもらえずに、随分と退屈な思いをしたものだ。 「いい子にしてたか」 「ん」 やや乱暴に頭を撫でる仕草までもが、何だか懐かしい。 そんな父の顔色がやけに蒼白く見えたことや、纏った鎧の全体が赤茶けた色に染まっていたことなど、この時は気にも留めなかった。 「とりあえず母ちゃん呼んで来てくれ、これから家に帰るぞ」 父の留守中、残された母子三人はここに身を寄せていた。 祖父母も、父の弟にあたる叔父も皆優しかったが、やはり自分の家で家族全員揃っているのがいい。 「うん!」 コテツは大きく頷くと、弾んだ足取りで母屋へと駆け出していった。 その夜。コテツはふと、両親の話し声で目を覚ました。 眠い目を擦りつつ、足音を忍ばせて様子を窺う。どうしてそうしようと思ったのかは、今でもわからない。 微かに開いた扉から覗くと、まず包帯に覆われた父の背中が見えた。白い色の中心に、赤と茶色が斑になって大きく滲んでいる。 その向こうには、悲痛な面持ちで座る母の姿。 何が起きているのかはさっぱりだが、ただならぬ雰囲気だけは痛いほど伝わってきた。 「――そんな身体で、どうして無理に帰って来たのよ。 手紙でも何でも、連絡をくれれば良かったのに」 「傷なら自分でも治せるからな。それに、寝ているのにも飽きた」 事もなげに言い放つ父に、母の表情が大きく歪む。 「それで死んだら、元も子もないわ」 「大丈夫だ、大したことじゃない」 「――嘘言わないで!」 とうとう、堪えきれなくなったように母が叫んだ。 「そんなに弱ったあなた、今までに一度だって見たことがないわ!」 続いて、押し殺した嗚咽が漏れる。 初めて見る母の涙に、コテツは思わず身を竦ませていた。 最初は怒っているのかとも思ったが、これは自分が悪戯をした時とはわけが違う。どんな悪さを働いても、母はおそらく泣きはしないだろう。 どうしていいかわからずに立ち尽くしていると、そこに落ち着いた父の声が響いた。 「――だが、俺はここにいる」 母は一瞬顔を上げて父を見たが、すぐにまた顔を伏せてしまった。 「今回は運が良かったかもしれない……でも、またこんな事があったら……」 「それでも、俺は戻るさ」 今思えば、この時、父の呼吸は苦しげであったかもしれない。 塞がりきらない傷から血が流れ、その苦痛に顔を歪めていたかもしれない。 今にも倒れそうな中、気力のみで意識を繋ぎとめていたのかもしれない。 でも。「戻る」と告げたその言葉は、コテツにとって何よりも力強いものに思えた。 そして――それはおそらく、母にとっても同じことであったのだろう。 声を上げて泣く母の肩に、そっと父の手が触れる。 「……泣くな。ガキどもが起きるぞ」 コテツがいつから戦士を志すようになったか、今ではもう判然としない。 しかし、それを考えるたび真っ先に思い出すのは、この時見た父の背中だった。 「みゃあ」 近くで、猫の鳴き声が聞こえる。 うっすらと目を開けると、すぐそこにライオン丸の姿があった。 同時に、頬にあたる柔らかい肉球の感触と、僅かに食い込んでいる爪の痛みに眉を顰める。 「ライオン丸、人の顔を踏むな」 「ふみゅ」 首の後ろを掴んで猫を顔からどかし、上体を起こすコテツ。 いつからそこにいたのか、ユィファが自分を覗き込んでいた。 「――あ、やっと起きた」 どうやら、ライオン丸をけしかけたのはこの妹らしい。 コテツは憮然としてユィファを見たが、その視線は軽く受け流されてしまった。 「大丈夫? かなり頭から落ちてたけど」 そしらぬ顔で声をかけてくる妹に内心で溜息をつきつつ、軽く自らの頭に触れる。 「……何とかな。――うお、タンコブになってら」 鈍い痛みはあるものの、とりあえずは吐き気などの危険な兆候はない。 そう告げると、ユィファも幾分か安心した表情を見せた。 「親父は?」 周囲に父の姿がないことを確かめ、立ち上がりながら問う。 対して、ユィファは軽く肩を竦めて答えた。 「先に戻ってるって」 「野郎……」 予想はしていたが、気絶した息子を放置して自分だけ帰るとは。 きっと、今頃は母にそれがバレて絞られているに違いない。ざまあみろ、と思う。 息子には未だ無敗を誇る父だが、あれで妻や娘にはまるっきり形無しなのだ。 「――結局負けちゃったね」 「るせぇ」 妹の言葉に、軽く口を尖らせるコテツ。 冒険者になる前に父から一本取るという目標は、とうとう叶わなかったことになる。 しかし、今回はこれまで得られなかった確かな手応えがあった。 「連敗は、これで終わりだかんな」 「ふぅん?」 確信と決意を込めて言い放つコテツに、首を傾げて呟くユィファ。 そんな妹の気のない返事を聞いてもなお、心に迷いが生じることはなかった。 冒険者として腕を磨き、この家に戻ってきた時。そう、次こそは――あの背中に手が届くはず。 そのためには、立ち止まるわけにいかない。自然と、握った拳に力が篭る。 「とりあえず、そろそろ家に入ったら? いつまでもそこにいたら風邪ひくよ」 一向に動き出す様子のないコテツに痺れをきらしたのか、ユィファがライオン丸を抱き上げつつ声をかけてきた。 気付けば大分気温も下がっており、汗のひいた身体には少々肌寒い。苦笑しつつ、自らも妹の後に続く。 「……言われなくてもわかってらぁ」 ――コテツが“赤の国”センブラ認定の冒険者となったのは、この翌日のことである。 |
〔執筆者あとがき〕 |
コテツが冒険者になる前日の夜を描いた、プロローグ的な作品です。 彼が何故“父親を超える”ことに拘るのか、その理由にスポットを当ててみました。 一つのことをひたすらに追いかけるというのは、ある意味では非常に危うい行為といえます。 前を見つめるばかりに周囲が見えなくなり、自分や周囲を傷つける危険を孕んでいるからです。 コテツに必要なのは、まず自らのそういった部分と向かい合うことだといえるでしょう。 ここを乗り越えて初めて、彼は次のステップに進めるはずなのですが……。 それがいつ成し遂げられるかは、残念ながら今後の展開を待たねばなりません。 プレイヤーとしては、転機が良い形で得られることを願いたいものです。 |
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